「彼らの現場に対する執着心、そして泥臭い足を使った捜査力は、この規模の事件には不可欠です。綺麗な捜査では、この犯人は捕まりません」
私が断言すると、真田部長は渋々といった様子で頷いた。
「……まあ、あいつなら手は抜かんだろうな。性格に難はあるが、ホシを挙げることにかけては信用できる」
真田部長のような武闘派にとって、宗像の実直さは評価の対象なのだ。
私はさらに畳み掛ける。
「加えて、鑑識課、科学捜査研究所からも人員を増員し、全庁体制で臨みます。……必ず、ホシを挙げます」
「頼んだぞ。失敗は許されん」
退出の敬礼をし、重いドアを閉める。
廊下に出た瞬間、私は大きく息を吐き出した。冷や汗が背中を伝うのがわかる。
嵌(は)められた。
これは、私のキャリアを賭けた大博打だ。
成功すれば「組織の手柄」、失敗すれば「私の責任」。最もリスクの高い、最前線という名の処刑台に立たされたのだ。一歩間違えば、二度と浮上できない奈落が待っている。
だが――私の唇には、自然と不敵な笑みが浮かんでいた。
恐怖ではない。武者震いだ。
リスクのない場所に、栄光はない。それに、あの古狸たちは知らないのだ。
私には、警察組織の枠組みを超えた、最強の「切り札」があることを。
(……帰ってきているのよね、佳穂)
私の脳裏に、黒髪の美しい後輩の姿が浮かぶ。
榎本佳穂(えのもと かほ)。IQ240の天才。
私が異例のスピード出世を遂げた背景には、常に彼女の影(シャドウ)があった。私が持ち込む難事件の資料を、彼女は海の向こうから、まるでチェスの詰め将棋のように鮮やかに解き明かしてみせた。
彼女が帰国したこのタイミングで、この大事件が舞い込んだ。
これを運命と言わずして何と言うのだろう。
私はヒールの音を高く響かせ、廊下を歩き出した。
毒饅頭ごと、皿まで食らってやる。
「さあ、始めましょうか」
土砂に埋もれた真実を掘り起こす、戦いの始まりだった。
私は歩きながらスマートフォンの画面をタップし、発信履歴から宗像亮治の番号を選んだ。
コールは3回。不機嫌そうな声が応答する。
『……なんだ』
「おはようございます、宗像警部。……今すぐ私の執務室へ」
『ああん? まだ夜明け前だぞ。何の用だ』
「『ヤマ』が動いたわ。それも、特大のがね」
私はそれだけ告げ、一方的に通話を切った。
あの「狂犬」のことだ。文句を言いながらも、血の匂いを嗅ぎつけて飛んでくるはずだ。
管理官執務室に戻った私は、ジャケットを脱ぐ間も惜しんで準備に取り掛かった。
デスクに積み上げられた資料を払い退け、広域地図を広げる。ホワイトボードに時系列と発見現場の情報を書き殴る。
頭の中ではすでに、捜査本部の組織図と、必要な人員の配置が組み上がりつつあった。
10分後。
一息つく間もなく、荒々しいノックの音が響いた。
返事をするよりも早く、ドアが重々しく開き、一人の男がヌッと入ってきた。
「……お呼びでしょうか、管理官」
不機嫌さを隠そうともしない、地を這うような低い声。
着古してよれた安物のスーツ。無精髭。手入れはされているものの、底がすり減って変形した革靴。
その全身から発せられるのは、徹夜明けの疲労感などではなく、周囲を威圧する「拒絶」のオーラだ。
宗像 亮治(むなかた りょうじ)警部。39歳。
捜査一課殺人犯捜査係の班長であり、私が今回、実働部隊の核(コア)に据えようとしている男だ。
彼は、警視庁内でも典型的な「現場の犬」として知られている。
東大卒のエリート街道を歩んできた私とは対照的に、高卒でノンキャリアとして採用され、交番勤務から泥水をすするようにして這い上がってきた叩き上げ。
「組織の論理」や「政治的な配慮」を極端に嫌い、上層部に対しても平気で牙を剥くその態度は、まさに「狂犬」。
だが、その嗅覚と、一度食らいついたら離さない執念深さは、警視庁内でも随一と言われている。
「座って、宗像警部。立ち話をするような内容じゃないわ」
「……失礼します」
彼は私の正面の椅子に、ドカリと乱暴に腰を下ろした。
その鋭い眼光が、私の腹の内を探るように睨みつけてくる。
無理もない。一回り近く年下の女性管理官(キャリア)の下につくことなど、彼にとっては面白くない話だろう。ましてや、こんな時間に叩き起こされたのだ。
私は彼の視線を正面から受け止め、単刀直入に切り出した。
「多摩の死体遺棄事件、あなたの班(チーム)を中心に捜査を進めてもらう」
宗像警部の太い眉が、ピクリと動いた。
「……本気ですか」
彼は懐からタバコを取り出そうとして、ここが禁煙の執務室であることを思い出したのか、忌々しげに手を止めた。
「被害者は7人。通常なら複数の班を動員して、特捜の中でも序列の高い班長が指揮を執る案件だ。俺のような、上から嫌われている班に任せる規模じゃない」
「ええ、その通りよ。政治的な判断ならね」
私は組み上げた手を顎に当て、彼を真っ直ぐに見据えた。
「でも、私が求めているのは『政治』じゃない。『結果』よ。7体の遺体、数年にわたる犯行。犯人は極めて慎重で、狡猾な異常者だわ。並の刑事じゃ尻尾も掴めない。……必要なのは、お行儀の良い警察官じゃない。一度食いついたら死んでも離さない『猟犬』の牙よ」
宗像警部の体に、ピリッとした緊張が走るのが見えた。
武者震いだ。口では文句を言いながらも、難事件を前にして彼の刑事としての血が騒いでいるのがわかる。
私は知っている。
彼がただの粗暴な刑事ではないことを。
15年前――「榎本佳穂誘拐事件」。
当時、まだ所轄の若手刑事だった彼は、誘拐された9歳の佳穂を救出するために奔走した。
「待機命令」という上司の静止を振り切り、独自の捜査で監禁場所に踏み込み、犯人を制圧して間一髪で彼女を助け出したのが、他ならぬこの男だ。
佳穂の命の恩人であり、彼女が抱える闇(トラウマ)の深さを、誰よりも理解している人物。
だが、彼を駆り立てているのは、過去の栄光や正義感だけではない。
もっと昏(くら)く、癒えることのない傷跡だ。
佳穂を救出した、そのわずか数ヶ月後のことだった。
結婚を間近に控えた彼の婚約者が、偶然にも凶悪な無差別殺人犯(マスキラー)の犯行現場に居合わせ、殺害された。

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