姉は紅茶を一口飲むと、無表情で答えた。
「快適だったわ。余計な雑音が少なくて」
「出たよ、カホ節。あんたねぇ、少しは愛想ってもんを覚えないと。修学旅行の時もそうだったじゃん」
「修学旅行?」
私が思わず聞き返すと、琳久さんが身を乗り出してきた。
「そうだよ彩心ちゃん! 京都での班別行動! カホにルート決め任せたらさ、『最短経路かつ観光客の人口密度が最も低いルート』を弾き出しやがって」
「効率的だったはずよ」
姉が不服そうに口を挟む。
「どこが! 裏路地と墓地の横ばっかり歩かされて、お土産屋さんゼロだったじゃん! 金閣寺の裏山から侵入しようとした時は、さすがに止めたけどさぁ」
あははは! と琳久さんが快活に笑う。
煌良ちゃんも、「あったあった、懐かしい!」と思い出し笑いをしている。
姉だけが、「正規ルートは混雑率が許容範囲を超えていた」とブツブツ言い訳をしていた。
ひとしきり笑った後、琳久さんが思い出したように身を乗り出してきた。
「そうそう! 男と言えばさ、彩心ちゃんは彼氏できたの?」
「……いないよ」
私が即答すると、琳久さんは大げさに天を仰いだ。
「あーあ、あんた、終わったわ!」
「何が?」
「いや、だって、あんたには『これ』がいるんだよ!?」
琳久さんがビシッと姉を指差す。
「こんな、息をするように嘘を見抜き、論理で丸裸にしてくる姉がいるのよ! 彼氏なんて連れてきた日には、玄関先で精神分析されて終了じゃん! 物理的にぶん殴られるよりキツいわ……ま、この人、ぶん殴ってもハンパないけど」
言いたい放題だ。
しかし姉は動じず、冷ややかに切り返した。
「……琳久こそ、ネットの海から根こそぎデータを拾ってきて、丸裸どころか骨まで分解するでしょう。プライバシーの侵害レベルなら貴方の方が上よ」
「うぐっ……! 痛いところを……」
琳久さんが胸を押さえて呻く。
「う〜ん、だから男できないのかぁ〜。ハイスペック女子の悩みは深いねぇ」
「……琳久ちゃんの場合、それだけじゃないと思うけど……」
煌良ちゃんがボソリと呟く。
「あ!? 今なんか言った!? きらら! ちょっと! ひどくない!?」
「あはは、ごめんごめん!」
琳久さんが吠え、煌良ちゃんがケラケラと笑う。
その明るい笑い声の中で、私は一人、曖昧な愛想笑いを浮かべていた。
――違う。
煌良ちゃんや琳久さんは、知らない。
私が恋愛できない本当の理由を。
お姉ちゃんみたいな天才的な推理力も、琳久さんみたいな分析力もいらない。
私の「共感力(エンパス)」は、もっとダイレクトで、逃げ場がないのだ。
相手と向き合った瞬間、その心の奥底にある欲望、打算、あるいは微かな幻滅……そういった「本音のノイズ」が、リアルタイムで私の中に流れ込んでくる。
『可愛いけど、ちょっと重そうだな』
『この子と付き合えば、親も安心するかな』
そんな、言葉には出さない、けれど誰もが持っている些細な裏側が見えすぎてしまう。
だから、踏み込めない。誰も好きになれない。
(……このことだけは、話せない)
私は胸の奥で小さく溜息をついた。
琳久さんの言う通りだ。「全てを知られる」なんて、誰だって嫌に決まっている。
もし私が「あなたの心が読めるの」なんて言ったら、大好きな煌良ちゃんでさえ、私を怖がって離れていってしまうかもしれない。
それだけは、耐えられない。
この秘密は、墓場まで持っていくしかないのだ。
「……もういいわ」
姉がカップをソーサーに置いた。
カチャリ、という硬質な音が、楽しげな空気を断ち切るスイッチになった。
姉の瞳から、同級生としての色が消え、冷徹な「犯罪心理学者(プロファイラー)」の色が戻ってくる。
「休憩は終わり。……始めるわよ、琳久」
「へいへい。了解、ボス」
琳久さんも瞬時に表情を引き締め、放り投げていたバッグからノートPCを取り出した。
頬杖をつき、鋭い眼光で姉を見据える。
「で? カホ。何調べるの」
姉は静かに頷き、事件のあらましを語った。
その話を聞きながら、琳久さんは「煌良大丈夫?」とか「うわ、最悪」とか、いちいちオーバーなリアクションで相槌を打っていた。アメリカにいたせいなのか、高校時代より反応が大きくなっているように思える。
「理解した」
「うん」
「じゃあ、分析を始めるわ。まずは、被害者たちの『声なき声』よ」

姉の合図で、琳久さんがノートPCを開く。
その瞬間、彼女の纏う空気が一変し、そこは「戦場」に変わった。
彼女の指がキーボードを叩く音は、まるで機関銃の掃射だ。タタタタタッ! という乾いた音が途切れなく続き、画面上を私には理解できない文字列と画像が高速で流れていく。
「さてと。まずは警察のデータベース(MPD-NET)の裏口から、今回の土砂崩れで見つかった7人の遺体データを引っこ抜くよ。……はい、ビンゴ」
琳久さんがエンターキーをッターン! と叩くと、空中に投影されたかのように、7つの枠が画面に並んだ。
一番左、久世美月さんの枠だけには写真がある。けれど、残りの6つの枠には、顔写真の代わりに『Unidentified(身元不明)』という無機質なタグと、発見時の骨格図だけが表示されている。
「……遅いわね」
姉が画面を見て眉をひそめる。
「警察もまだ、久世さん以外、被害者の身元を掴みきれていないようね」
「まあ、そうなるよねー。骨だけじゃ限界あるし」
琳久さんは「ちょっと待って」と言って、バックパックからもう一台、一回り大きく、分厚い無骨な黒いノートPCを取り出した。
ケーブルを繋ぎ、電源を入れる。
画面に浮かび上がったのは、WindowsでもMacでもない、見たこともない幾何学模様のロゴだった。
「出でよ、私の相棒! 『AIのアイちゃん』登場!」
「……そのままじゃない」
姉が即座にツッコミを入れる。
「あ、ひどい! アイちゃんは最高なんだから! 私の思考パターンを学習させた、世界最強の自律型AIなんだぞ!」
「で、そのAIで何をするの」
「情報の海を泳がせるのよ! ……アイちゃんよ! ちょっと待ってね」
琳久さんが、プログラム言語なのか英語なのか、私にはさっぱり読めない文字列を、猛烈な勢いでコマンドプロンプトに打ち込んでいく。
その画面を横から覗き込んでいた姉が、ふむ、と小さく頷いた。
「なるほど。マスコミね」
「ちょっと! 私の解説(セリフ)取らないでよ!」
琳久さんが頬を膨らませて抗議する。
「そうよ! テレビ、新聞、雑誌、ネットニュース……あらゆるメディアの過去のアーカイブから『行方不明者』や『家出人』の情報を収集(スクレイピング)するわけ。その膨大な断片を、アイちゃんが警察の遺体データ(発見場所、衣服、推定年齢)と繋ぎ合わせて、答えを出してくれるの!」
言い終わると同時に、琳久さんは「ッターン!」と派手な音を立ててリターンキーを叩いた。
すると。
画面が真っ黒になり、鮮やかな緑色の文字列が、上から下へと滝のように流れ落ち始めた。
まるで、古いSF映画のワンシーンのようだ。
「……何これ」
姉が眉をひそめて呟く。
「演出よ」
琳久さんがニシシと笑う。
「くだらない」
姉は即座に切り捨てた。
「ひどーい! 気分よ気分! ハッカーと言えばこれでしょ! 『マトリックス』知らないの?」
「知らないわよ。……処理リソースの無駄遣いよ」
「えぇー……人生損してるよ。見なさいよ、名作なんだから」


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