『姉妹探偵』第1編 冷徹な天使と、慈悲深き悪魔025

小説

 やがて、画面を埋め尽くすように表示された言葉たち。
 それらはどれも、彼女たちの「善性」を称えるものばかりだった。

『困っている人を放っておけない』
『いつも誰かのために動いていた』
『雨の日、傘を貸してくれた優しい人』

 それを見た瞬間、私の中に強烈な吐き気が込み上げてきた。

 (……あぁ、嘘だ)

 私の共感力(エンパス)が、過去の彼女たちの感情を勝手に再生(リプレイ)してしまう。
 冷たい雨の匂い。
 目の前に佇む、濡れた誰か。
 震えている、可哀想な人。

『大丈夫ですか?』

 彼女たちはそう声をかけたのだ。一点の曇りもない心からの心配と、優しさを持って。
 温かい手を、差し伸べたのだ。
 ――その手が、切り落とされるとも知らずに。

「……なんてこと」

 私は口元を押さえ、呻くように言った。

「彼女たちは……優しかったから殺されたの? 人として正しいことをしたのに……それが、死ぬ理由になったっていうの?」

 理不尽すぎる。あんまりだ。
 私の問いに、姉は無慈悲なほど淡々と、しかし確信を持って答えた。

「そうよ。犯人は『罠』を張っていたんじゃない。『選抜試験』を行っていたの」

 姉が画面上の犯人像(アンサブ)――まだ顔のない黒いシルエット――を指差す。

「犯人は雨の日、傘もささずに街に立つ。あるいは蹲(うずくま)る。多くの人は無視して通り過ぎるわ。……でも、彼女たちだけは立ち止まった」

 姉の声が、冷たく響く。

「犯人にとって、無視する人間は『不要なノイズ』。けれど、立ち止まり、声をかけ、手を差し伸べてくれた人間だけが――『有資格者』となる」
「有資格者……」
「ええ。『私のコレクションになる資格を持つ、聖なる手』の持ち主としてね」

 カチリ、と琳久さんがエンターキーを押した音が、死刑執行の合図のように響いた。
 画面には、7人の笑顔が並んでいる。
 誰もが、誰かを愛し、誰かに愛されていたはずの女性たち。
 彼女たちの「善意」が、犯人の歪んだ欲望のスイッチを押してしまったのだ。

「美月……ッ!」

 隣で煌良ちゃんが、顔を覆って泣き崩れる。

「馬鹿だよ……優しすぎるよ……ッ。そんなの、あんまりじゃない……!」

 彼女の悲痛な叫びが、私の胸を切り裂く。
 優しさが仇になるなんて言葉じゃ片付けられない。これは、人の心の最も美しい部分を逆手に取った、最悪の冒涜だ。

 姉は静かに目を伏せ、そして開いた。
 その瞳には、先ほど車内で感じた「焦げ臭い怒り」が、青白い炎となって燃え上がっていた。

「……反吐が出る論理ね」

 姉が低く呟いた。

「善意を餌にする捕食者。……人間(ヒト)の定義から外れているわ。これ以上、彼に『選別』を続けさせるわけにはいかない」
「やってやるわよ! アイちゃん、フル稼働!」

 琳久さんが叫び、怒涛の勢いでキーボードを叩き始めた。
 姉の怒りに呼応するように、私たち全員が「絶対に許さない」という思いで結束した。

 このまま一気に犯人を特定し、追い詰める。
 誰もがそう思っていた。

 ――けれど。

 1時間。2時間。
 時間は無情に過ぎていった。

「……ダメ。ヒットしない」

 琳久さんの声から、覇気が消えていく。
 あれから何度も、検索条件を変え、範囲を広げ、AIにデータを食わせ続けた。
 けれど、画面に表示されるのは『No Result(該当なし)』か、あるいは数千件にも及ぶ絞りきれないリストだけだ。

 姉が何度も芽瑠先輩に連絡を入れようとスマホを見るが、画面は暗いまま。警察からの追加情報(アップデート)もない。
 おそらく、向こうも身元の確認作業や、上層部との折衝で手一杯なのだろう。

「アイちゃんも……同じ結果しか吐かなくなってきた」

 琳久さんが、熱を持ったPCのファンが唸る音を聞きながら、溜息をついた。
 AIは優秀だが、魔法ではない。入力されるデータ(餌)が尽きれば、新しい答えは出せないのだ。

 店内に漂っていた熱気は冷め、代わりに重く、粘りつくような閉塞感が満ちていく。
 窓の外では、変わらず雨が降り続いている。
 その雨音が、私たちの無力さを嘲笑っているように聞こえた。

 姉は琳久さんの肩に手を置いた。

「……情報が少なすぎるわ」

 姉が苛立ちを隠そうともせず、爪を噛んだ。

「身元不明の3体の解析待ち、遺留品の科学捜査の結果待ち……。警察(あっち)からの情報が降りてくるのを待っていては、手遅れになる。でも、今の私たちには『検索ワード』すら足りない」

 現在、行方不明者は全国で年間8万人以上。特異行方不明者に絞っても数万人。
 その中から、「雨の日に消えた」「優しい女性」を探すのは、砂漠で砂金を探すようなものだ。

 ふと時計を見ると、針は深夜を回っていた。
 何時間も議論し、分析を繰り返したが、私たちは「膨大なデータの壁」の前で立ち尽くしていた。
 煌良ちゃんはカウンターの隅で、疲れ切った顔で虚空を見つめている。
 琳久さんも、カフェイン切れで目が虚ろだ。
 限界だった。

 時間は23時30分をまわっている。姉が決断を下した。

「……一旦、解散しましょう」

 姉の声には、悔しさが滲んでいた。
 けれど、これ以上続けても、疲労で判断力が鈍るだけだという合理的な判断だった。

「……ダメね」

 姉が、重い沈黙を破った。
 画面上のデータは、これ以上語ってはくれない。デジタルな情報の海は広大だが、深淵にある真実までは届かない。

「今わかっている4人の犠牲者をとことん洗って、被害者像を割り出して、犯人のプロファイリングを完成させるしかない。……けれど、これ以上の情報はネットには落ちていないわ」

 姉は立ち上がり、ポケットからスマートフォンを取り出した。
 その瞳には、新たな光が宿っている。

「デジタルの迷宮が行き止まりなら、アナログな現場に戻るしかない。……被害者・久世美月の部屋を見るわ」
「えっ、でも……」

 私は驚いて姉を見上げた。

「まだ警察が捜査中なんじゃ……。現場は封鎖されてるよ?」
「だから、鍵を開けてもらうのよ」

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