やがて、画面を埋め尽くすように表示された言葉たち。
それらはどれも、彼女たちの「善性」を称えるものばかりだった。
『困っている人を放っておけない』
『いつも誰かのために動いていた』
『雨の日、傘を貸してくれた優しい人』
それを見た瞬間、私の中に強烈な吐き気が込み上げてきた。
(……あぁ、嘘だ)
私の共感力(エンパス)が、過去の彼女たちの感情を勝手に再生(リプレイ)してしまう。
冷たい雨の匂い。
目の前に佇む、濡れた誰か。
震えている、可哀想な人。
『大丈夫ですか?』
彼女たちはそう声をかけたのだ。一点の曇りもない心からの心配と、優しさを持って。
温かい手を、差し伸べたのだ。
――その手が、切り落とされるとも知らずに。
「……なんてこと」
私は口元を押さえ、呻くように言った。
「彼女たちは……優しかったから殺されたの? 人として正しいことをしたのに……それが、死ぬ理由になったっていうの?」
理不尽すぎる。あんまりだ。
私の問いに、姉は無慈悲なほど淡々と、しかし確信を持って答えた。
「そうよ。犯人は『罠』を張っていたんじゃない。『選抜試験』を行っていたの」
姉が画面上の犯人像(アンサブ)――まだ顔のない黒いシルエット――を指差す。
「犯人は雨の日、傘もささずに街に立つ。あるいは蹲(うずくま)る。多くの人は無視して通り過ぎるわ。……でも、彼女たちだけは立ち止まった」
姉の声が、冷たく響く。
「犯人にとって、無視する人間は『不要なノイズ』。けれど、立ち止まり、声をかけ、手を差し伸べてくれた人間だけが――『有資格者』となる」
「有資格者……」
「ええ。『私のコレクションになる資格を持つ、聖なる手』の持ち主としてね」
カチリ、と琳久さんがエンターキーを押した音が、死刑執行の合図のように響いた。
画面には、7人の笑顔が並んでいる。
誰もが、誰かを愛し、誰かに愛されていたはずの女性たち。
彼女たちの「善意」が、犯人の歪んだ欲望のスイッチを押してしまったのだ。
「美月……ッ!」
隣で煌良ちゃんが、顔を覆って泣き崩れる。
「馬鹿だよ……優しすぎるよ……ッ。そんなの、あんまりじゃない……!」
彼女の悲痛な叫びが、私の胸を切り裂く。
優しさが仇になるなんて言葉じゃ片付けられない。これは、人の心の最も美しい部分を逆手に取った、最悪の冒涜だ。
姉は静かに目を伏せ、そして開いた。
その瞳には、先ほど車内で感じた「焦げ臭い怒り」が、青白い炎となって燃え上がっていた。
「……反吐が出る論理ね」
姉が低く呟いた。
「善意を餌にする捕食者。……人間(ヒト)の定義から外れているわ。これ以上、彼に『選別』を続けさせるわけにはいかない」
「やってやるわよ! アイちゃん、フル稼働!」
琳久さんが叫び、怒涛の勢いでキーボードを叩き始めた。
姉の怒りに呼応するように、私たち全員が「絶対に許さない」という思いで結束した。
このまま一気に犯人を特定し、追い詰める。
誰もがそう思っていた。
――けれど。
1時間。2時間。
時間は無情に過ぎていった。
「……ダメ。ヒットしない」
琳久さんの声から、覇気が消えていく。
あれから何度も、検索条件を変え、範囲を広げ、AIにデータを食わせ続けた。
けれど、画面に表示されるのは『No Result(該当なし)』か、あるいは数千件にも及ぶ絞りきれないリストだけだ。
姉が何度も芽瑠先輩に連絡を入れようとスマホを見るが、画面は暗いまま。警察からの追加情報(アップデート)もない。
おそらく、向こうも身元の確認作業や、上層部との折衝で手一杯なのだろう。
「アイちゃんも……同じ結果しか吐かなくなってきた」
琳久さんが、熱を持ったPCのファンが唸る音を聞きながら、溜息をついた。
AIは優秀だが、魔法ではない。入力されるデータ(餌)が尽きれば、新しい答えは出せないのだ。
店内に漂っていた熱気は冷め、代わりに重く、粘りつくような閉塞感が満ちていく。
窓の外では、変わらず雨が降り続いている。
その雨音が、私たちの無力さを嘲笑っているように聞こえた。
姉は琳久さんの肩に手を置いた。
「……情報が少なすぎるわ」
姉が苛立ちを隠そうともせず、爪を噛んだ。
「身元不明の3体の解析待ち、遺留品の科学捜査の結果待ち……。警察(あっち)からの情報が降りてくるのを待っていては、手遅れになる。でも、今の私たちには『検索ワード』すら足りない」
現在、行方不明者は全国で年間8万人以上。特異行方不明者に絞っても数万人。
その中から、「雨の日に消えた」「優しい女性」を探すのは、砂漠で砂金を探すようなものだ。
ふと時計を見ると、針は深夜を回っていた。
何時間も議論し、分析を繰り返したが、私たちは「膨大なデータの壁」の前で立ち尽くしていた。
煌良ちゃんはカウンターの隅で、疲れ切った顔で虚空を見つめている。
琳久さんも、カフェイン切れで目が虚ろだ。
限界だった。
時間は23時30分をまわっている。姉が決断を下した。
「……一旦、解散しましょう」
姉の声には、悔しさが滲んでいた。
けれど、これ以上続けても、疲労で判断力が鈍るだけだという合理的な判断だった。
「……ダメね」
姉が、重い沈黙を破った。
画面上のデータは、これ以上語ってはくれない。デジタルな情報の海は広大だが、深淵にある真実までは届かない。
「今わかっている4人の犠牲者をとことん洗って、被害者像を割り出して、犯人のプロファイリングを完成させるしかない。……けれど、これ以上の情報はネットには落ちていないわ」
姉は立ち上がり、ポケットからスマートフォンを取り出した。
その瞳には、新たな光が宿っている。
「デジタルの迷宮が行き止まりなら、アナログな現場に戻るしかない。……被害者・久世美月の部屋を見るわ」
「えっ、でも……」
私は驚いて姉を見上げた。
「まだ警察が捜査中なんじゃ……。現場は封鎖されてるよ?」
「だから、鍵を開けてもらうのよ」


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